天文館の片隅に残るキリスト教伝来の地――鹿児島市「ザビエル公園」

鹿児島市の繁華街「天文館」。

南九州最大の繁華街といわれるその片隅に、ザビエルの名前を冠した小さな公園があります。

その名も「ザビエル公園」。

夜、この辺りを歩いているときにたまたま見かけたので、ちょっと気になって写真を撮ってみました。

今回は写真2枚だけですが、調べてみると、ここは日本のキリスト教史においてかなり重要な場所でした。

ザビエル公園

ザビエル公園にある、ザビエル、ヤジロウ、ベルナルドの3体の像
ライトアップされた3体の像

ザビエル公園にある3体の像

中央に立っているのがフランシスコ・ザビエル。

その両脇にいるのが、ザビエルを鹿児島へ案内したヤジロウと、後にヨーロッパへ渡った鹿児島人ベルナルドです。

この3人の像は、1999年に日本へのキリスト教伝来450周年を記念して建立されたものです。

天文館の繁華街にある小さな公園なので、夜に歩いていると突然この3人の像が現れるような感じで、ちょっと不思議な雰囲気もありました。

フランシスコ・ザビエルとは?

フランシスコ・ザビエルは、16世紀に活動したスペイン生まれのカトリック宣教師です。

イエズス会の創設メンバーの一人で、インドや東南アジアなどで布教した後、日本へ向かいました。

1549年(天文18年)、ザビエルは鹿児島に上陸。

日本に初めて本格的にキリスト教を伝えた人物として知られています。

ザビエルは鹿児島で約1年間を過ごし、当時の島津家当主・島津貴久にも面会。

貴久からキリスト教の布教を許可されています。

つまり、この鹿児島が日本におけるキリスト教伝来の最初の地というわけです。

キリスト教伝来の地

「キリスト教伝来の地」の看板。後ろには3人の像が見える
しっかりとした看板

公園内には鹿児島市が設置した「キリスト教伝来の地」と書かれた看板もあります。

1549年、ザビエル一行は鹿児島に上陸しました。

その一行を案内したのが、鹿児島出身のヤジロウです。

その後、ザビエルは島津貴久と会見し、布教の許可を得ました。

鹿児島県も、この場所を「日本最初のキリスト教伝来地」として紹介しています。

ただし、現在のザビエル公園がザビエルの上陸地点というわけではありません。

ザビエル一行が上陸したのは、現在の祇園之洲付近とされています。

この公園は、ザビエルの鹿児島滞在や日本へのキリスト教伝来を記念する場所として整備されたものです。

ヤジロウとは?

3人の像のうち、ザビエルの隣に立っている日本人がヤジロウです。

「アンジロウ」「アンジロー」とも表記されます。

鹿児島出身の人物で、マラッカでザビエルと出会い、日本での布教を目指すザビエルを故郷の鹿児島へ案内しました。

日本語と異文化の橋渡しをした人物ということになります。

ザビエルにとって、日本へ向かうきっかけを作った重要な人物でした。

ただ、ヤジロウについては詳しい生涯が分かっておらず、後世に伝わる情報も限られています。

もう一人の日本人、ベルナルド

そしてザビエルの反対側に立つのがベルナルドです。

ベルナルドも鹿児島出身の人物で、ザビエルによって洗礼を受けた日本人の一人です。

その後、ザビエルに同行してヨーロッパへ渡り、1553年にはポルトガルのリスボンへ到着。

さらにローマまで赴き、ローマ教皇にも謁見したとされています。

日本からヨーロッパへ渡った最初期の日本人として知られる人物です。

そう考えると、この公園に並んでいる3体の像は、単なる「ザビエルの像」ではなく、

「日本へキリスト教を伝えた宣教師」 「その宣教師を日本へ案内した日本人」 「その後ヨーロッパへ渡った日本人」

という、キリスト教伝来に関わる3人を表しているわけです。

ザビエル公園は教会の跡地

実は、この公園にはもう一つの歴史があります。

ここにはかつて「ザビエル教会」が建っていました。

明治時代、ザビエルの功績をたたえるためにラゲ神父によって建てられた教会で、1911年(明治44年)には鹿児島県内初の本格的な石造教会が完成しました。

しかし、第二次世界大戦末期の1945年(昭和20年)、空襲によって大部分が焼失。

現在のザビエル公園には、その旧聖堂の一部が残されています。

つまり、この小さな公園は、

「日本へのキリスト教伝来」 「ザビエルを記念した教会」 「戦争による教会の焼失」

という、いくつもの歴史が重なった場所でもあります。

現在の公園向かいに建つカテドラル・ザビエル記念聖堂は、1949年にザビエル渡来400年を記念して再建されたものです。

島津氏はキリスト教に寛容だった?

ザビエルの話を調べていると、

「じゃあ当時の島津氏はキリスト教にかなり寛容だったの?」

という疑問も出てきます。

実際、1549年にザビエルが鹿児島を訪れた際、島津貴久は布教を許可しています。

ただし、これは島津氏がその後も一貫してキリスト教に寛容だった、という意味ではありません。

鹿児島県の説明によると、その後、ポルトガル船が平戸など鹿児島以外の港にも来航するようになったことなどから、やがて領内での布教は禁止されました。

つまり、

「最初は布教を許可したが、その後は禁止された」

という流れです。

戦国時代の薩摩とキリスト教の関係は、単純に「島津氏はキリスト教に寛容だった」とまとめられるものではなさそうです。

心霊スポットとしても知られる?

ちなみに、このザビエル公園を調べていると「心霊スポット」という話も出てきます。

空襲で焼失した教会跡地ということもあり、そうした噂が生まれたのかもしれません。

ただ、今回私が訪れたのは夜だったものの、特に何か変わったものを見たわけではありません。

そもそも、同行者がこの手の歴史スポットには全く興味を持たないタイプだったので、公園内をじっくり見て回ることもなく、写真も2枚だけ。

公園内には旧教会に関係する石碑など、ほかにも見ておいた方が良さそうなものがありましたが、今回はそこまで確認できませんでした。

天文館の片隅に残るキリスト教の歴史

普段は多くの人が行き交う天文館。

そんな繁華街の片隅に、1549年のキリスト教伝来から、明治時代の教会、そして戦争による焼失まで、鹿児島とキリスト教にまつわる歴史が残されています。

今回はたまたま夜に通りかかって写真を撮っただけでしたが、調べてみると意外と歴史の深い場所。

ザビエル、ヤジロウ、ベルナルドの3人の像を眺めながら、ここから日本のキリスト教の歴史が始まっていったことを考えると、繁華街の中にある小さな公園が少し違って見えてきます。

今度訪れる機会があれば、今回撮らなかった旧聖堂の石壁や記念碑なども、もう少しじっくり見てみたいところです。

訪問日:2014年11月

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