鹿児島市坂之上の集落に、ひっそりと3基の石碑が並んでいる場所があります。
そこにあるのが「寿庵の松」の碑。
今回訪れたのは、薩摩を代表する刀工・波平刀匠にゆかりのある史跡です。
波平刀匠については、これまでにも「波之平刀匠遺跡」「波之平刀匠 笹貫井戸」「波之平刀匠 清見寺遺跡」などを訪ねてきましたが、坂之上にも波平刀匠の歴史を伝える場所が残っていました。
坂之上に残る3基の石碑

集落の一角に、3基の石碑と案内板が並んでいます。
大きな史跡公園になっているわけでもなく、周囲の町並みに溶け込むようにひっそりと残されています。

少し斜めから見ると、3基の石碑が並んでいる様子がよく分かります。
現在、ここに残っているのは石碑だけ。
かつての松そのものや、波平刀匠の屋敷・鍛冶場が残っているわけではありません。
「寿庵の松」とは?

中央にある石碑には、「寿庵の松」と刻まれています。
この「寿庵」とは、波平刀匠56代の橋口安張(はしぐち やすはる)が名乗った号です。
安張は波平から坂之上へ移り住み、この地で刀を鍛えた人物とされています。
鹿児島市の資料では、安張は「波平刀匠橋口安張(56代)」で、入道して「寿庵」と称したと紹介されています。
そして、この人物にまつわるのが「寿庵の松」の伝説です。
出陣の前に植えた一本の松
寿庵は、文禄・慶長の役に参加する際、屋敷の中に一本の松を植えたといいます。
そして、
「もし自分が戦で死んだなら、この松を墓にしてほしい」
と頼んで出陣しました。
ところが、無事に帰ってきてみると、植えていった松は枯れることなく青々と茂っていました。
その松は「寿庵松」として有名になったと伝えられています。
なんとも印象的な話です。
戦死したら墓にするつもりで植えた松が、本人の帰還を迎えることになった。
その後、その松が長く残ったことで、寿庵の名とともに語り継がれるようになったのでしょう。
松は枯れ、二代目へ
しかし、そんな「寿庵松」もやがて枯れてしまいます。
その後、二代目となる松が植えられました。
そして文化4年(1807)、寿庵の6代目の孫にあたる行間によって、この碑が建立されたと鹿児島市の資料に記録されています。
現在残っているのは、その「寿庵松」そのものではなく、その由来を伝える石碑というわけです。
石碑の文字はかなり読みにくい

隣にも文字の刻まれた石碑が2基あります。
ただ、長い年月を経てかなり劣化しており、現地では文字を読み取るのが難しい状態でした。
こういう古い石碑を見ると、何が書かれているのか気になります。
せっかくなので近づいて確認したいところですが、無理に触れたり削ったりするわけにもいかず、今回は写真に収めるだけにしました。
案内板もかなり年季が入っていました

石碑の横には「寿庵の松」の解説板があります。
こちらもかなり劣化していて、文章を読むのは難しい状態。
最後の部分には、
「昭和61年4月 ライオンズクラブ」
と読める文字が残っていました。
鹿児島市の史跡案内では、この場所は「新寺安松の碑」として紹介されており、所在地は鹿児島市坂之上2丁目です。
現地の様子を見る限り、現在は鹿児島市が直接管理する一般的な史跡案内施設というより、地域やライオンズクラブなどによって大切に維持されてきた場所なのかもしれません。
波平刀匠は坂之上にも移り住んでいた
ここで改めて興味深いのが、波平刀匠と坂之上の関係です。
波平刀匠は、もともと谷山の「波之平」の地を拠点として長く続いてきた刀工の一派。
その後、56代の橋口安張、つまり寿庵は波平から坂之上へ移住し、ここで刀を鍛えたとされています。
鹿児島市史にも、安張が「波平から坂之上に移住してここで刀を鍛え、波平には二郎兵衛安行を残してここを本家と称した」と記されています。
つまり、今回の「寿庵の松」は、単なる一本の松の記念碑ではありません。
波平刀匠が坂之上へ進出したことを伝える場所でもあるわけです。
波平刀匠、900年の歴史
波平刀匠について調べていると、何度も出てくる数字があります。
64代、約900年。
鹿児島市の案内でも、初代刀匠行安から明治初期まで64代、約900年続いたと紹介されています。
900年というと、ちょっと想像しにくい長さです。
日本史で考えてみると、鎌倉時代、室町時代、戦国時代、江戸時代、そして明治まで。
徳川幕府が約260年ですから、それよりはるかに長い。
一つの刀工の系統が、時代を超えてこれだけ長く続いていたというのは、改めて考えるとかなりすごいことです。
しかも、これまで訪れた「波之平刀匠遺跡」「笹貫井戸」「清見寺遺跡」に加えて、今回の「寿庵の松」。
谷山周辺を探してみると、波平刀匠の痕跡が意外なほどあちこちに残っています。
「波之平」という名字も気になる
そういえば、波之平刀匠遺跡を訪れたとき、周辺の住宅を見ていると「波之平」という名字の表札がいくつもあったのを思い出しました。
900年近く続いた刀匠の一派なら、子孫が現在まで残っていても不思議ではありません。
実際、波平家が長い系譜を持っていたことは資料からも分かります。
ただし、現在その地域に住んでいる「波之平」姓の方々が、すべて波平刀匠の子孫なのかどうかまでは、今回確認できませんでした。
「もしかして子孫なのかな?」
と思いながら町を歩くと、何気ない表札まで歴史の続きに見えてくるから面白いものです。
坂之上に残る波平刀匠の足跡
今回訪れた「寿庵の松」は、松そのものが残っているわけではありません。
屋敷や鍛冶場も現存していません。
残っているのは、3基の石碑と古びた案内板だけ。
それでも、その石碑からは、波平刀匠56代・寿庵が坂之上へ移り住み、この地で刀を鍛えていたこと、そして戦に出る際に植えた松が「寿庵松」として後世まで語り継がれたことを知ることができます。
波平刀匠を追いかけていくと、谷山の町のあちこちに、その長い歴史の断片が残っている。
今回の寿庵の松の碑も、そんな波平刀匠の足跡の一つでした。
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