鹿児島市上福元町にある「万田ヶ宇都墓地」へ行ってきました。
きっかけは、上福元町周辺の地図を眺めていたときに見つけた、ちょっと気になる地形。
住宅地の中にぽっかりと山があり、その山頂まで螺旋状の道が続いています。
「これ、もしかして山城跡なんじゃ…?」
と、以前、知覧の亀甲城跡を訪れたとき、らせん状の登城路が印象的だったので、今回もその類いなのではないかとワクワクしながら向かってみました。
ところが――。
山城かと思ったら墓地でした。
実際に行ってみると、そこにあったのは山城跡ではなく、墓地(笑)。
せっかくなので、そのまま山を上ってみることに。
お墓を横目に螺旋状の道を進んでいくと、頂上には「万田ヶ宇都墓地公園」があります。

頂上には、墓地の由来を記した石碑があります。
最初は「山城じゃなかったか…」と少し残念に思いましたが、よく見てみると、この石碑にちょっと気になる文字がありました。
石碑の文章の最後に刻まれていたのが、
「昭和四十二年三月 谷山市」
という文字です。
ここで思わぬ歴史ネタを発見しました。
かつて「谷山市」だった谷山
現在、万田ヶ宇都墓地のある上福元町は鹿児島市ですが、昔は「谷山市」でした。
谷山はもともと谷山村、谷山町と変遷し、1958年(昭和33年)10月1日に市制を施行して谷山市となりました。
そして1967年(昭和42年)4月29日、谷山市は鹿児島市と新設合併し、現在の鹿児島市となっています。
つまり、石碑に刻まれている「昭和四十二年三月」は、谷山市が鹿児島市と合併するわずか2か月前。
「谷山市」という自治体が存在していた最後の時期に建てられた石碑ということになります。
現在ではすっかり鹿児島市の一部となっている谷山ですが、こうした古い石碑には、かつて独立した「谷山市」だった頃の記憶が残されています。
高台から桜島を望む
そして、山頂まで上ってみて分かったのが、ここからの景色の良さ。
墓地公園は高台にあるため、周囲を見渡すことができます。

遠くには桜島を望むことができ、なかなか気持ちのいい眺めです。
住宅地の中にある小さな山ですが、頂上まで来ると視界が開け、ちょっとしたパノラマビューを楽しめます。
山城を期待して来た身としては、これはこれで嬉しい誤算でした。
今でも残る「鹿児島に行く」という言い方
谷山市はなくなって半世紀以上が経ち、現在では谷山も鹿児島市の一部です。
ところが、谷山では今でもちょっと面白い言い方が残っています。
天文館や鹿児島中央駅など、鹿児島市の中心部へ出かけるときに、
「鹿児島に行く」
と言うことがあります。
現在の行政区分で考えれば、谷山も当然「鹿児島市」なのですが、それでも「鹿児島に行く」という言い方をするわけです。
しかも面白いのが、これは谷山市だった頃を知っている世代だけではありません。
谷山市と鹿児島市が合併した後に生まれた、比較的若い世代でもこの言い方をすることがあります。
もちろん、これが直接「谷山市の名残」だと断定することはできません。
それでも、かつて谷山市という別の自治体だったことを考えると、谷山と鹿児島市中心部を少し別の場所として捉える感覚が、言葉の中に残っているようで面白いところです。
自治体としての谷山市はなくなっても、こうした日常の言葉の中には、昔の地域感覚が今も残っているのかもしれません。
山城ではなかったけれど……
今回は「もしかして山城跡では?」という期待を胸に訪れた万田ヶ宇都墓地。
結果は、見事に墓地でした(笑)。
それでも、せっかくなので山頂まで上ってみたことで、桜島を望む景色を見ることができ、さらに墓地の由来を記した石碑から「谷山市」という、現在は存在しない自治体の痕跡まで発見することができました。
特に「昭和四十二年三月 谷山市」という文字が刻まれていたのは、思わぬ収穫でした。
谷山市が鹿児島市と合併する直前に残された石碑。
そして、谷山市がなくなった今でも、谷山の人々の会話には「鹿児島に行く」という言葉が残っている。
山城ではありませんでしたが、地図を眺めて「ここ、何だろう?」と気になった場所へ実際に行ってみたことで、思いがけず谷山の歴史に触れることができました。
こういう予想外の発見があるから、地図を眺めながらの史跡・遺構探しはやめられません。


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