東郷平八郎の墓を訪ねて――錦江湾を望む鹿児島市・多賀山公園

鹿児島市の多賀山公園を訪れました。

今回の目的は、公園内にある東郷平八郎の墓。

東郷平八郎といえば、日露戦争の日本海海戦で連合艦隊を率いた海軍軍人として知られる人物です。

その墓が鹿児島にあると知り、訪ねてみることにしました。

そして実際に歩いてみると、東郷平八郎だけでなく、戦国時代の城跡や肝付兼重の史跡まである、思っていた以上に歴史の濃い公園でした。

多賀山公園へ

多賀山公園入口
多賀山公園はここから

こちらが多賀山公園の入口です。

多賀山公園は鹿児島市清水町にある公園。

桜島や錦江湾を望むことができる公園としても知られ、園内には東郷平八郎の墓や銅像、東福寺城跡などの史跡があります。

今回の目的はあくまで東郷平八郎の墓なので、まずは墓所へ向かいます。

東郷平八郎の墓

元帥東郷平八郎墓と彫られた墓石
元帥東郷平八郎墓と彫られた墓石

墓石には、

「元帥東郷平八郎墓」

と刻まれています。

墓の前には立派な生花も供えられていました。

今でも誰かがきちんと世話をしているのでしょうか。

少し意外だったのは、この墓が東郷平八郎本人の遺骨を納めた墓ではないということ。

東郷平八郎は1934年(昭和9年)に亡くなり、国葬が行われました。

遺骨は東京都の多磨霊園に葬られています。

一方、ここ多賀山公園の墓には東郷平八郎の遺髪が納められています。

つまり、ここは「東郷平八郎の墓」ではあるものの、正確には遺髪を納めた墓ということになります。

東郷平八郎とは?

東郷平八郎は1848年生まれの薩摩藩士出身の海軍軍人です。

薩摩藩士として生まれ、幕末には薩英戦争や戊辰戦争を経験。

その後、海軍軍人となり、イギリスへ留学して海軍について学びました。

日清戦争では艦長として活躍し、さらに1903年(明治36年)には連合艦隊司令長官に就任。

そして1905年(明治38年)の日露戦争では、日本海海戦でロシアのバルチック艦隊を破り、日本を勝利へ導いた人物として世界的に知られるようになります。

その功績から「東洋のネルソン」とも呼ばれ、後に元帥となりました。

鹿児島市出身の人物ということもあり、鹿児島には東郷平八郎に関係する史跡や銅像がいくつか残されています。

錦江湾を見つめる東郷平八郎

錦江湾の方を向いて立つ東郷平八郎像
錦江湾の方を向いて立つ東郷平八郎像

墓の近くには、東郷平八郎の銅像もあります。

像は錦江湾(鹿児島湾)の方を向いています。

この向きがまた東郷平八郎らしい。

日本海軍を率いた人物なので、海を見つめる姿がよく似合います。

鹿児島市によると、この銅像は1941年に制作されたもので、1957年に多賀山公園へ設置されたものです。

現在の像は高さ1.8mほどあります。

東郷平八郎が見つめる海

錦江湾(鹿児島湾)に浮かぶ海上自衛隊の艦
錦江湾(鹿児島湾)に浮かぶ海上自衛隊の艦

せっかくなので、東郷平八郎と同じ方向を見てみます。

目の前に広がるのは錦江湾。

すると、ちょうど海上自衛隊の艦が入港しているところでした。

偶然ですが、なかなか面白い光景です。

海軍の軍人だった東郷平八郎の像が海を見つめ、その先には現代の海上自衛隊の艦。

時代は全く違いますが、なんとなく絵になる組み合わせでした。

東郷墓地と多賀山公園

東郷墓地と多賀山公園の解説板
東郷墓地と多賀山公園の解説板

園内には、多賀山公園と東郷墓地についての解説板もあります。

ここで改めて、この場所の歴史を知ることができます。

ただ、東郷平八郎の墓だけを目的に訪れていたので、この時点ではまだ公園に別の歴史があることをあまり意識していませんでした。

「肝付兼重奮戦之跡」の碑

肝付兼重奮戦之跡と刻まれた碑
肝付兼重奮戦之跡と刻まれた碑

墓所を歩いている途中、気になる石碑を見つけました。

「肝付兼重奮戦之跡」。

最初に見たときは、

「東郷平八郎と一緒に奮戦した人?」

と思ってしまいました。

……が、もちろん全然違いました(笑)。

肝付兼重とは?

肝付兼重は、南北朝時代に活躍した武将です。

東郷平八郎が明治時代の人物なので、時代がまったく違います。

肝付兼重は南朝方として活動し、1341年(暦応4年)、東福寺城をめぐって島津貞久と戦いました。

この東福寺城での戦いは激しいものとなり、最終的には島津氏が城を攻略。

その後、東福寺城は島津氏の鹿児島進出の拠点となりました。

「肝付兼重奮戦之跡」の解説板
「肝付兼重奮戦之跡」の解説板

つまり、この石碑は東郷平八郎とはまったく関係なく、多賀山公園に残る東福寺城跡の歴史を伝えるものだったわけです。

多賀山公園は東福寺城跡でもあった

実は多賀山公園周辺は、もともと東福寺城があった場所。

東福寺城は中世の山城で、南北朝時代には肝付兼重らと島津貞久との戦いの舞台になりました。

そして島津氏がこの城を手に入れたことが、その後の鹿児島進出につながっていきます。

今では公園として整備され、東郷平八郎の墓や銅像があるため、どうしても「東郷平八郎の公園」という印象が強くなります。

でも、その場所にはそれよりはるか昔からの歴史があったわけです。

最初は「お寺の跡」だと思っていた

ちなみに、最初にこの辺りを訪れたとき、東福寺城のことをよく知らず、

「東福寺?」

「お寺の跡なのかな?」

くらいに思っていました(笑)。

ところが調べてみると、実際には寺院跡ではなく城跡。

名前に「東福寺」と入っているので、最初は完全に勘違いしていました。

こういう「現地では何となく見ていたものを、後から調べてみたら全然違った」というのも、史跡巡りの面白いところです。

多賀山公園には多賀神社も

多賀山公園には、東郷平八郎の墓や東福寺城跡だけではありません。

園内には多賀神社もあります。

また、広めの駐車場や公衆トイレ、児童遊具なども整備されているので、史跡巡りだけでなく普通の公園としても利用しやすい場所です。

鹿児島市の案内では駐車場も整備されており、気軽に立ち寄れる公園になっています。

東郷平八郎と中世の城跡が残る公園

今回の目的は東郷平八郎の墓でした。

ところが、実際に歩いてみると、

東郷平八郎の墓
↓
東郷平八郎の銅像
↓
錦江湾
↓
肝付兼重奮戦之跡
↓
東福寺城跡

と、時代の違う歴史が次々と出てきました。

特に「肝付兼重奮戦之跡」の碑を見て、

「東郷平八郎と一緒に戦った人なのかな?」

と思ったら、実際には600年近く前の武将だったというのは、今回のちょっとした発見でした。

東郷平八郎が見つめる錦江湾と、その足元に残る中世の城跡。

現在は普通の公園として利用されている多賀山ですが、こうして歴史を知ってから歩いてみると、かなり面白い場所でした。

訪問日:2016年7月

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