鹿児島県南大隅町佐多の「南大隅町立 郡小学校跡」へ寄ってみました。
佐多岬方面へ向かう途中、郡地区で見つけた学校跡です。
最初に見て思ったのは、
「敷地、広っ!」
でした(笑)。
広い芝生の校庭に、平屋建ての校舎と体育館。
閉校から年月が経っているにもかかわらず、校庭は荒れた感じがなく、きれいに保たれています。
木造っぽい平屋の校舎

校門には木造の門柱があり、「郡小学校」の校銘板が残っています。

校門の正面に平屋建ての校舎。
校舎は一部が木造っぽい造りになっていて、最近の学校とはちょっと違う雰囲気があります。
玄関を中心にして、その左右に校舎が伸びていくような特徴的な形です。
現役時代は、左側に1~3年生、右側に4~6年生の教室が配置され、それぞれ校庭から直接教室へ入れるような造りだったとのこと。
まだ使えそうな体育館

校舎の隣には体育館も残っています。
これがまた、閉校した学校の体育館とは思えないくらい、まだ十分使えそうな感じ。
そして、校舎や体育館以上に気になったのが校庭です。
広い芝生の校庭

閉校してからかなり経っているはずなのに、雑草が伸び放題という感じではありません。
むしろ、ちゃんと手入れされているように見えます。
閉校後に何かに利用されているのか、それとも定期的に管理されているのか。
訪問したときには、そのあたりは分かりませんでした。
ただ、これだけきれいに保たれていると、完全に放置された学校跡という感じではありません。
立派な郡小学校の閉校記念碑

校舎の近くには、郡小学校の閉校記念碑があります。
これを見て、ちょっと気になったことがありました。
先に訪れた大泊小学校、竹之浦小学校、大中尾小学校、辺塚小学校の閉校記念碑と、かなり似た造りなんです。
佐多地区の小学校が2013年に一斉に統合されたことを考えると、同じ時期に設置、同じようなデザインで統一されているのかもしれません。
校庭の隅にもう一つの学校跡碑

そして校庭の隅を見ると、もう一つ石碑があります。
刻まれているのは「郡中学校跡」。
こちらは小学校の閉校記念碑とは形も雰囲気も違います。
この場所には小学校だけでなく、中学校も併設されていたようです。
郡中学校は1950年(昭和25年)3月に開校し、1992年(平成4年)3月に閉校。
小学校よりも20年以上早く、その歴史を終えていました。
小学校が2013年に閉校したことで、現在は小学校・中学校、両方の跡を示すものが同じ敷地に残っていることになります。
郡小学校とは
郡小学校は、佐多地区にあった小学校の一つ。
2013年(平成25年)3月31日、佐多地区の小学校統合に伴って閉校しました。
統合されたのは、佐多小学校、大泊小学校、竹之浦小学校、郡小学校、大中尾小学校、辺塚小学校の6校。
これらが一つになり、新しい佐多小学校がスタートしました。
統合前の1987年(昭和62年)には、郡小学校の全校児童は35名。
そして統合時の2013年度の予定児童数は、わずか4名でした。
佐多地区では児童数の減少が著しく、南大隅町は2013年の小学校統合を進めていました。
当時の町の資料を見ると、佐多地区6校の2013年度予定児童数は合計65名。
そのうち郡小学校は4名でした。
郡中学校もここにあった
郡小学校跡を見ていると、もう一つ気になるのが郡中学校です。
郡中学校は1950年(昭和25年)3月に開校し、1992年(平成4年)3月に閉校。
1992年の佐多地区の中学校統合によって、現在の第一佐多中学校につながる中学校へ統合されたようです。
小学校よりも先に中学校がなくなり、それから約20年後に小学校も閉校。
こうして現在の学校跡には、二つの学校の記憶が残されています。
広い校庭に残る学校の記憶
郡小学校跡は、廃校巡りでありがちな「草に埋もれた学校」という感じではありませんでした。
広い芝生の校庭。
平屋の校舎。
まだ十分使える(使ってる?)体育館。
そして、小学校と中学校それぞれの跡を示す記念碑。
閉校から年月が経っても、現役の学校と思えるような状態で残っています。
佐多岬方面へ向かう途中、ふらっと寄ってみた郡小学校跡。
ここにもまた、佐多の集落と学校の歴史が残っていました。
訪問日:2021年10月
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