現役の小学校なのに「址」?――鹿児島市の草牟田小学校址を見てきた

鹿児島市草牟田付近を散策していると、鹿児島高等技術専門校の近くで、ちょっと気になる石碑を見つけました。

そこに刻まれていた文字は、

「草牟田小学校址」

あれ?

草牟田小学校って、現在もある現役の小学校だったはず……。

「草牟田小学校、廃校になったの?」

と思いながら確認してみると、どうやらそういうことではありませんでした。

今回は、そんなちょっと紛らわしい「草牟田小学校址」の記念碑を見てきました。

草牟田小学校址

「草牟田小学校址」と刻まれた記念碑。
「草牟田小学校址」と刻まれた記念碑。

石碑が建っているのは、現在の鹿児島高等技術専門校の近く。

周辺を歩いていると、突然「草牟田小学校址」という文字が目に入ってきます。

現在の草牟田小学校を知っているだけに、最初は「ん?」となりました。

しかし、調べてみると、この場所はかつて草牟田小学校があった場所。

現在の草牟田小学校はここではなく、城山団地内にあります。

つまり、この石碑は現在の草牟田小学校が移転する前の旧校地を示す記念碑だったわけです。

大正時代に始まった草牟田小学校

草牟田小学校の歴史は古く、大正13年(1924年)4月に創立されました。

当時、草牟田・新照院・玉里町周辺の子どもたちは、山下小学校、西田小学校、玉江小学校、大龍小学校などへ通学していました。

しかし、城山を越えたり甲突川を渡ったりする必要があり、通学距離もかなりのものだったそうです。

そこで、保護者や地域住民から草牟田の中心部に学校をつくってほしいという声が上がり、待望の草牟田小学校が誕生しました。

現在の城西公民館付近が、その最初の校地でした。

同年5月18日には校舎が落成し、開校式が行われています。

この5月18日は、現在も草牟田小学校の創立記念日となっています。

戦争で校舎が焼失

長い歴史の中では、戦争による被害もありました。

昭和20年(1945年)6月17日、太平洋戦争によって草牟田小学校の全校舎が焼失。

その後、昭和21年(1946年)6月21日に仮校舎が建てられ、新しい校舎の建設や増改築が行われました。

そして、戦後の復興を経て草牟田小学校は再び地域の学校として続いていきます。

昭和47年に現在地へ移転

そんな草牟田小学校に大きな転機が訪れたのが、昭和47年(1972年)。

城山団地の造成に伴い、学校も現在の場所へ移転することになりました。

現在の草牟田小学校は鹿児島市城山2丁目にありますが、これはこの移転によるものです。

つまり、

大正13年(1924年)
現在の旧校地付近に草牟田小学校が開校

↓

昭和47年(1972年)
城山団地造成に伴い現在地へ移転

ということになります。

だから、現在も草牟田小学校はちゃんと存在しているのに、ここには「草牟田小学校址」の碑が残っているわけですね。

現在は鹿児島高等技術専門校

草牟田小学校の旧校地に建つ鹿児島高等技術専門校。
草牟田小学校の旧校地に建つ鹿児島高等技術専門校。

かつて草牟田小学校の校舎が建っていた場所は、現在では鹿児島高等技術専門校などになっています。

旧校地は現在、鹿児島高等技術専門校のほか、道路や城西公民館、体育館、草牟田公園などに姿を変えています。

当時の学校そのものは残っていません。

それでも、この「草牟田小学校址」の石碑があることで、現在の風景からは想像しにくい「ここにも昔、小学校があった」ということを知ることができます。

「廃校跡」ではなかった

今回、この石碑を見つけたときに一番気になったのが、

「草牟田小学校って現役の小学校じゃなかったっけ?」

ということでした。

実際、現在の草牟田小学校は城山2丁目で今も現役です。

なので、この石碑を見て「草牟田小学校は廃校になった」と思ってしまうと間違い。

ここは草牟田小学校そのものの跡地であって、学校がなくなったわけではなく、学校が移転した後の旧校地なのです。

「址」という文字だけを見ると廃校跡っぽく感じてしまいますが、実際には現在まで続いている学校の「昔の場所」を示しているわけですね。

こういう、現役の学校なのに「学校址」の碑が残っている場所は、なかなか面白いです。

現在の草牟田小学校が開校してから、すでに100年以上。

大正時代に始まった学校が現在まで続き、その途中で校地を移した。

そして、かつて学校があった場所には「草牟田小学校址」の石碑だけが残っている。

何気なく歩いていて見つけた石碑でしたが、調べてみると地域の学校の長い歴史が見えてきました。

訪問日:2022年2月

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