100年以上前の校門が残っていた――鹿児島女子技芸学校当時の校門跡を見てきた

鹿児島市高麗町にある鹿児島女子短期大学。

現在は女子短大のキャンパスとなっている場所ですが、ここには学校の長い歴史を伝えるものがひっそりと残っています。

それが「鹿児島女子技芸学校当時の校門跡」。

以前から、この校門跡があることは知っていました。

ただ、詳しい場所まではよく分からず、今回あらためて探してみることに。

とはいえ、現在は女子短大。

さすがに女子短大の敷地内をウロウロしながら探すのも、ちょっと怪しい(笑)。

そこで正面入口付近から見える範囲で探してみると……ありました。

鹿児島女子技芸学校の校門跡

鹿児島女子短期大学の正面入口横に残る、鹿児島女子技芸学校当時の校門跡。
鹿児島女子短期大学の正面入口横に残る、鹿児島女子技芸学校当時の校門跡。

柵の中に、古い門柱と石碑が残されています。

石碑には、

「鹿児島女子技芸学校の校門」

と刻まれています。

門そのものは残っていませんが、門柱と石碑を見ると、ここがかつて学校の入口だったことが分かります。

「鹿児島女子技芸学校の校門」と刻まれた石碑。
「鹿児島女子技芸学校の校門」と刻まれた石碑。

石碑をアップで見ると、文字の上には二輪の花のようなマークも彫られています。

当時の校章なのかな?と思わせるデザインですが、今回確認した資料では、このマークについて詳しく説明されたものは見つけられませんでした。

それにしても、現在は女子短期大学として使われている場所に、100年以上前の学校名が刻まれた石碑が残っているというのは興味深いです。

鹿児島女子技芸学校から始まった女子教育

この場所の歴史を調べてみると、かなり古いことが分かります。

学校法人志學館学園につながる女子教育の始まりは、明治40年(1907年)8月に開設された「鹿児島女子手芸伝習所」。

翌明治41年(1908年)2月には「鹿児島女子技芸学校」が開校しました。

鹿児島市の資料によると、創設者は満田ユイ。

明治40年(1907年)に鹿児島市平之町で鹿児島女子技芸講習所を創設し、翌年に鹿児島女子技芸学校と改め、高麗町へ校舎を移しました。

当時の女子教育では、裁縫などの技芸だけでなく、実生活に役立つ教育にも力を入れていたそうです。

つまり、今回見た「鹿児島女子技芸学校の校門」は、現在の学校法人へと続く女子教育のかなり初期の時代のものということになります。

「実践」の名前へ

大正14年(1925年)には職業学校規程によって鹿児島女子技芸学校として認可され、翌大正15年(1926年)6月、「鹿児島高等実践女学校」へと改称されました。

その後、昭和5年(1930年)には鹿児島女子実践商業学校が開校。

戦後の昭和23年(1948年)には、鹿児島女子実践商業学校を母体として高等学校へ移行し、「鹿児島実践女子高等学校」となりました。

家庭科・商業科が設けられ、その後、昭和31年(1956年)には全日制普通科も開設されています。

そして、この「実践女子」の名前もさらに変わっていきます。

昭和58年(1983年)には「鹿児島女子大学附属高等学校」へ改称。

さらに平成11年(1999年)には「鹿児島学芸高等学校」へ改称され、普通科・家政科・食物科・商業科を統合した総合学科が開設されました。

しかし、鹿児島学芸高等学校は平成18年(2006年)3月に閉校しています。

こうして見てみると、

鹿児島女子技芸学校
↓
鹿児島高等実践女学校
↓
鹿児島実践女子高等学校
↓
鹿児島女子大学附属高等学校
↓
鹿児島学芸高等学校

と、時代とともに学校名を変えながら女子教育が続いてきたことが分かります。

鹿児島女子短期大学もこの場所の歴史の一部

ここで少しややこしいのが、現在の鹿児島女子短期大学との関係です。

鹿児島女子短期大学は、昭和40年(1965年)4月に幼児教育科を開設してスタートしました。

その後、昭和41年(1966年)に家政科、昭和42年(1967年)に教養科を開設するなど、女子の高等教育を担う学校として発展していきます。

つまり、

「鹿児島実践女子高等学校が終わって、その後に鹿児島女子短期大学ができた」

という単純な流れではありません。

鹿児島実践女子高等学校が存在していた時代に、鹿児島女子短期大学も1965年に開学していたわけです。

そして、その後に高校側は鹿児島女子大学附属高等学校、鹿児島学芸高等学校へと名前を変え、2006年に閉校。

一方、鹿児島女子短期大学は現在まで続き、平成21年(2009年)に紫原キャンパスから現在の高麗町キャンパスへ移転しています。

現在この場所にある鹿児島女子短期大学は、こうした長い学校の歴史の延長線上にあるわけですね。

100年以上前の「校門」が残る

そう考えると、今回見つけた石碑も、ただの古い門柱というだけではありません。

「鹿児島女子技芸学校の校門」と刻まれた石碑は、明治時代から続く女子教育の歴史を、現在に伝えるものです。

鹿児島女子技芸学校が開校したのは明治41年(1908年)。

それから100年以上が経った現在も、その学校名が石碑に残っています。

門そのものはなくなっていても、門柱と石碑だけが残っている。

こういう「昔の学校の名残」は、個人的にはかなり好きなタイプの史跡です。

現在の鹿児島女子短期大学だけを見れば、当然ながら現代の学校にしか見えません。

でも、その足元を少し掘り下げてみると、明治時代の「鹿児島女子技芸学校」から続く長い歴史がある。

そして、その歴史を実際に目で見ることができるのが、この校門跡です。

ただ、女子短大の正面入口。

さすがに「昔の門を探してます!」という感じで周辺をウロウロするのはちょっと気まずかった(笑)。

今回はあまり長居せず、正面入口付近から確認できる範囲で見学しました。

それでも、以前から存在を知っていた「鹿児島女子技芸学校当時の校門跡」を、ようやく実際に見ることができました。

現在の学校へと続く100年以上の歴史を、ひっそりと伝える校門跡。

派手な観光スポットではありませんが、こうした場所を探して歩いてみるのも面白いものです。

訪問日:2022年2月

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