【鹿児島】波之平刀匠の足跡を訪ねて――波之平刀匠遺跡と笹貫井戸

鹿児島市東谷山に残る、波之平刀匠ゆかりの史跡を訪ねてきました。

訪れたのは2016年7月。

当時は今のように観光地として広く知られていた場所ではなく、歴史好きや史跡好きがひっそりと訪れるような、知る人ぞ知る隠れた史跡でした。

特に「波之平刀匠 笹貫井戸」は、当時Googleマップにも表示されておらず、「この近くに刀匠の井戸がもう一つあるらしい」という噂だけを頼りに、住宅地を歩き回って探した記憶があります。

そんな波之平刀匠ゆかりの2つの史跡も、現在では人気ゲーム『刀剣乱舞ONLINE』に「笹貫」が登場したことで、刀剣ファンが訪れる「聖地巡礼」の場所としても知られるようになったそうです。

今回は、そんな現在とはまだ違った雰囲気だった頃の波之平刀匠遺跡と笹貫井戸を訪ねた記録です。

波之平刀匠遺跡

まず訪れたのは、鹿児島市東谷山の住宅地にある「波之平刀匠之遺蹟」。

細い路地の脇に、大きな石碑がひっそりと建っています。

鹿児島市東谷山の住宅地にある波之平刀匠之遺蹟の石碑
波之平刀匠之遺蹟の石碑

石碑には「波之平刀匠之遺蹟」と深く刻まれています。

住宅地の中に突然現れる大きな石碑はなかなか存在感がありますが、当時は観光地らしい雰囲気はなく、「こんなところに刀匠の史跡があるのか」と少し意外に感じたのを覚えています。

波之平刀匠遺跡の表示板
波之平刀匠遺跡の表示板

波之平刀匠遺跡案内板が鹿児島市により設置されています。

その奥に見えている三角屋根の建物が、刀匠ゆかりの井戸です。

波之平刀匠遺跡の井戸、柄杓が置かれ水が溜まっている
波之平刀匠遺跡の井戸

コンクリート製の三角屋根で保護された井戸には水が張られ、柄杓も置かれていました。

ただし、現在のように水が湧いているように見えるのには少し事情があります。

この井戸は宅地開発によって一度枯れてしまったため、往時の雰囲気を伝えるためにポンプアップによって水が流れるよう整備されています。

そのため、現在は「井戸跡」とされています。

波之平刀匠遺跡の解説板
波之平刀匠遺跡の解説板

案内板には、波之平刀匠の由来や系図などが紹介されています。

波之平刀匠とは?

「波平(なみのひら)」は、薩摩を代表する刀工の一派です。

鹿児島市の案内によると、波平刀匠の始祖は大和国から薩摩へ入った橋口正国で、永延年間(987~989年)頃にこの地に住み、刀鍛冶を始めたと伝えられています。

この地は、近くの谷山海岸から得られる砂鉄、山からの木炭、そして刀の焼刃渡しに使える水など、刀鍛冶に適した環境だったとされています。

波平刀は一条天皇の御剣を作ったことから全国的に知られるようになり、その系統は明治初期まで約900年、64代にわたって続いたと伝えられています。

「波平」という名前の由来

波平という名前にも、興味深い伝説が残されています。

刀匠の正国が船で京へ向かっていた途中、瀬戸内海で嵐に遭い、航行が困難になったといいます。

そこで正国は、自ら作った刀を海に投じ、海の神に無事を祈りました。

すると、それまで荒れていた海がたちまち静まり、波が平らになった――。

この伝説から「波平」という地名や刀工名が生まれたと伝えられています。

鹿児島市の資料にも、波平・笹貫の地名が薩摩の名刀波平の伝説に由来するという昔話が記録されています。

もう一つの史跡「笹貫井戸」へ

波之平刀匠遺跡から北東へ約200m。

徒歩なら3分ほどの距離に、もう一つの波之平刀匠ゆかりの史跡があります。

それが「波之平刀匠 笹貫井戸」です。

現在では案内されることもありますが、訪れた2016年当時はGoogleマップにも表示されていませんでした。

「この近くに刀匠の井戸がもう一つあるらしい」

そんな情報だけを頼りに、住宅地を歩き回って探したのを覚えています。

そして、ようやく見つけたのがこちら。

波之平刀匠 笹貫井戸

波之平刀匠 笹貫井戸の石碑
波之平刀匠 笹貫井戸の石碑

住宅地の一画、フェンスで囲まれた藪の中に、「波之平刀匠 笹貫井戸」と刻まれた石碑があります。

波之平刀匠の笹貫井戸、蓋がされている
井戸っぽくない笹貫井戸

井戸はコンクリート板と鉄板で塞がれていました。

一見すると、井戸があるとはなかなか気づきません。

蓋を開けて見た、笹貫井戸の内部
ステンレスで補強、流し台みたい

鉄板をめくってみると、その下にはステンレスで補強された井戸がありました。

住宅地の中にひっそりと残された、まさに「知る人ぞ知る史跡」という雰囲気です。

通りから見た笹貫井戸
通りから見た笹貫井戸

少し離れた道路から見ると、フェンスの向こうはただの藪にしか見えません。

2016年当時、地図にも載っていなかったこの場所を、噂を頼りに探したというのも、今となってはちょっとした思い出です。

名刀「笹貫」が生まれた場所

この井戸は、波平派の刀工が刀を鍛える際に使った水が残る場所とされています。

そして、この地に伝わる名刀が「笹貫」です。

「笹貫」は、波平行安が作った太刀で、現在は国の重要文化財に指定されています。

文化庁の資料では「太刀〈銘波平行安〉」として登録されており、平安時代後期の波平行安による作で、銘に「波平」を冠した最古の例とされています。現在の所蔵先は京都国立博物館です。

「笹貫」の名前の由来

「笹貫」という名前には、刀の切れ味を思わせる伝説があります。

行安が鍛えた刀を竹藪に投げ捨てたところ、後になってその場所で不思議な光が見られるようになったといいます。

そこへ行ってみると、刀には落ちてきた笹の葉が何枚も突き刺さっていた。

刀の刃が笹の葉を切り裂き、まるで笹を貫いたように見えたことから、「笹貫」と呼ばれるようになった――。

これが名刀「笹貫」の名前の由来として伝わる有名な逸話です。

ちなみに、この伝説を聞いて刀剣や戦国史が好きな方なら、別の有名な名槍を思い出すかもしれません。

徳川四天王の一人、本多忠勝が愛用した天下三名槍の一つ「蜻蛉切(とんぼきり)」です。

こちらにも、戦場で立てかけていた槍の刃先に止まったトンボが、そのまま真っ二つに切れたという伝説があります。

「笹の葉」と「トンボ」で対象は違いますが、どちらも「刃に触れただけで切れてしまった」という、刀や槍の切れ味を表現した伝説。

昔の人にとっては、それほどよく切れる刃物だったということを印象づけるための、分かりやすい逸話だったのかもしれません。

井戸にも残る不思議な伝承

笹貫井戸には、刀そのものだけでなく、井戸の水についても興味深い伝承が残っています。

刀鍛冶にとって水は重要な存在でしたが、この井戸の水は「不浄を嫌う水」とされ、鍛冶場に関わる伝承も残されています。

なかでも有名なのが、刀匠の妻が鍛冶場を覗いたことで水が濁ったという話。

刀を鍛える作業は神聖なものと考えられ、妻が仕事場を覗いたことが「不浄」とされたため、その影響で井戸の水まで濁ったと伝えられています。

刀鍛冶と水、そして「清め」や「不浄」をめぐる昔の人々の考え方が感じられる伝承です。

『刀剣乱舞』で再び注目される波之平

この場所を訪れた2016年当時は、歴史好きが静かに訪れるような史跡でした。

ところが2022年、人気ゲーム『刀剣乱舞ONLINE』に「笹貫」が刀剣男士として登場。

これをきっかけに、波平刀匠や笹貫にゆかりのある鹿児島の地も、刀剣ファンから注目されるようになりました。

ゲームをきっかけに、かつては地図にも載っていなかったような小さな史跡を訪れる人が増えたというのは、なかなか面白い話です。

2023年には、黎明館の企画特別展で重要文化財「太刀 銘 波平行安 号 笹貫」が期間限定で展示されたこともありました。

ただし、この「笹貫」そのものは黎明館の所蔵品ではなく、現在は京都国立博物館の所蔵です。展示される機会は限られているので、実物を見る場合は展示情報を確認した方がよさそうです。

訪問日:2016年7月

コメント