鹿児島市の常磐町から武岡にかけて歩いていると、住宅地の中に「防空壕跡」を見かけることがあります。
大きな史跡として整備されているわけでもなく、案内板があるわけでもありません。
民家の敷地の一角にあったり、駐車場の脇にあったり、道路沿いの斜面に残っていたり。
そして、そのほとんどは入口がブロックや柵、網などで塞がれています。
今回は、そんな鹿児島市の住宅地に残る防空壕跡をいくつか見てきました。
住宅地に残る防空壕跡

看板には、
「鹿児島市では安全確保のため坑口の封鎖工事を進めています。」
と書かれています。
防空壕というと、戦時中の歴史を伝える戦争遺跡というイメージがありますが、鹿児島市では現在も地下壕が残っており、安全面では注意が必要な存在でもあります。
戦時中、空襲などから避難するために造られた防空壕も、経年劣化による陥没や、壕内部での一酸化炭素中毒などの危険があるため、鹿児島市では、地下壕の調査や壕口の封鎖、立入禁止看板の設置などの安全対策を進めています。
民家の一部になった防空壕

こちらの防空壕は倉庫として利用されています。
戦争が終わってから長い年月が経ち、使われなくなった防空壕の中には、物置や倉庫などとして利用されているものもあります。
防空壕と聞くと、山や林の中にひっそり残っているイメージがありますが、鹿児島市ではこのように現在の住宅地の中に残っているものもあります。
戦時中の避難場所だったものが、戦後には生活の一部として使われ、そして現在では安全対策が必要な場所になっている。
同じ防空壕でも、時代によってその役割が変わってきたことが分かります。
駐車場になった防空壕

こちらも住宅地の中に残る防空壕跡。
現在は駐車場として利用されています。
入口だけを見ると小さな穴のようにも見えますが、戦時中に掘られた壕が残っています。
こうして現在の生活空間に溶け込んでしまうと、そこが戦争遺跡だということに気付きにくくなります。
ほとんどの壕口は封鎖されている

常磐町から武岡にかけて見つけた防空壕跡。
大小さまざまな防空壕跡があります。

ブロックで塞がれているもの、金網のようなもので覆われているもの、柵が設置されているものなど、現在はほとんどの壕口が何らかの方法で封鎖されています。

子どもの頃に鹿児島市内を歩いていた頃は、今よりも「蓋をされていない防空壕跡」を見かけることが多かったように思います。

当時は、防空壕がそれほど特別なものではなく、住宅地の身近な場所に普通に存在していました。

今になって考えると、かなり危険な場所でもあったわけですが、子どもにとってはちょっとした探検場所のような存在だったのかもしれません。
武岡で起きた痛ましい事故
防空壕について調べていると、どうしても触れておきたい事故があります。
平成17年(2005年)4月9日、鹿児島市武岡一丁目の武岡団地北公園南東側斜面にある防空壕内で遊んでいた中学生4人が、一酸化炭素中毒で亡くなる事故が起きました。鹿児島市消防局の記録にも、この事故が記録されています。
国の資料によると、防空壕内で焚き火をしたことが一酸化炭素中毒につながったとされています。
この事故をきっかけに、全国的にも特殊地下壕の緊急調査が行われ、鹿児島県内では3,149か所もの地下壕が確認されました。
その後、鹿児島市内で防空壕の入口が塞がれていった背景には、こうした事故や安全面への意識の高まりもあったのだと思います。
ちなみに、この事故が起きた防空壕は今回写真に撮ったものではありません。
ただ、実はこの事故には個人的にも驚いた記憶があります。
事故が起きた防空壕は、地元の子どもたちの間では秘密基地や隠れ家的な場所として知られていて、自分自身も中学生の頃に入ったことがありました。
そのため、ニュースで事故を知ったときには「え?あの防空壕…?」という驚きがありました。
今思えば、当時は防空壕の危険性を深く考えずに入っていたわけで、事故が起きても不思議ではない場所だったのかもしれません。
今では「入らない場所」になった防空壕

現在の鹿児島市では、防空壕などの地下壕について安全対策が進められています。
入口を塞ぐだけでなく、「危険!立ち入り禁止」とはっきり表示された看板も設置されています。

長い年月を経た地下壕は、内部の状態が分からず、陥没などの危険もあります。
かつて子どもたちが遊び場にしていたような防空壕も、現在では「歴史遺産だから見に行く場所」というより、まず安全を優先して近づかないことが大切な場所になっています。
身近な場所に残る戦争の痕跡
今回見て回った防空壕跡は、どれも立派な戦争遺跡というわけではありません。
住宅地の片隅に残り、入口を塞がれ、時には倉庫や駐車場の一部になっています。
それでも、これらの壕が造られたのは、今から80年以上前の戦時中。
現在の住宅街の下や斜面に、当時の人々が空襲から身を守るために掘った地下壕が残っていると思うと、街の見え方も少し変わってきます。
鹿児島市では現在も多くの地下壕が確認されており、安全対策が進められています。
子どもの頃には身近な「秘密基地」のように感じていた防空壕も、今では立ち入り禁止の看板や頑丈な蓋で閉ざされています。
戦争が終わって80年以上。
街はすっかり変わりましたが、その痕跡は意外なほど身近な場所に残っていました。
訪問日:2022年3月


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