【長崎】原爆の爆風に耐えた旧長崎医科大学正門門柱

長崎市坂本にある、旧長崎医科大学の正門門柱を見てきました。

現在、この場所は長崎大学医学部のキャンパスになっていますが、入口にはかつての長崎医科大学の正門門柱が残されています。

1945年8月9日、長崎に原子爆弾が投下された際、この門柱も爆心地から約600mという距離で被爆しました。

現在も残る門柱には、原爆の爆風によるずれや傾きがそのまま残されています。

旧長崎医科大学の正門

旧長崎医科大学正門門柱
旧長崎医科大学正門門柱

立派な石造りの門柱が2本並んでいます。

ここはかつての長崎医科大学の正門。

現在は長崎大学医学部の坂本キャンパスとなっていますが、この門柱は被爆当時の姿を伝える貴重な遺構として保存されています。

旧長崎医科大学門柱は、国指定史跡「長崎原爆遺跡」の構成資産の一つにもなっています。

爆風で生じた門柱の隙間

旧長崎医科大学正門の変遷の説明板
旧長崎医科大学正門の変遷の説明板
原子爆弾の威力で門柱の根元にできた隙間
門柱の根元にできた隙間

特に目を引いたのが、門柱の根元にできた隙間です。

向かって左側の門柱は、原爆の爆風によって約9cm前方へずれ、台座との間には最大16cmもの隙間ができました。

これほど巨大で頑丈な石造りの門柱を動かしてしまうほど、爆風が凄まじかったことが分かります。

現在もそのずれた状態が残されていて、目の前で見ると単なる「古い門柱」ではなく、被爆の瞬間を物語る遺構なのだと実感します。

「長崎醫科大學」と刻まれた門柱

「長崎醫科大學」と旧字体で刻まれた門柱の銘板
旧字体で刻まれた門柱の銘板

門柱には「長崎醫科大學」と、現在とは違う旧字体で刻まれた大理石が埋め込まれています。

「醫」「學」という文字を見ると、ここが現在の長崎大学医学部につながる、かつての長崎医科大学の正門だったことを改めて感じます。

もう一方の門柱には「長崎醫科大學附屬藥學專門部」と刻まれていたとされています。

爆心地から約600m

「長崎医科大学門柱(爆心地から東約600m)」と書かれた説明板
「長崎医科大学門柱(爆心地から東約600m)」と書かれた説明板

門柱の説明板には、ここが爆心地から約600mの場所にあることが記されています。

長崎市の資料では、旧長崎医科大学門柱は爆心地から南東約700mとされていますが、現地の説明では約600mと案内されています。距離の表記には資料による違いがあるようです。

いずれにしても、原爆投下地点から1kmにも満たない場所。

当時の長崎医科大学は原爆によって壊滅的な被害を受け、多くの教職員や学生が犠牲になりました。

倒されて保存されているもう一つの柱

倒されて保存されている門柱
倒されて保存されている内門柱

メインの門柱とは別に、横倒しにされた柱も保存されています。

これは正門の内側にあった内門柱で、原爆の爆風によって倒壊したものです。

現在は、残った外門柱の近くに横たえた状態で保存されています。

立ったまま残る門柱だけでなく、倒された状態の柱も合わせて見ることで、ここを襲った爆風の凄まじさがより伝わってきます。

門の向こうは現在の長崎大学

旧門柱の先は、現在の長崎大学医学部のキャンパスです。

今回は、門柱まで見て引き返しました。

道すがらには折り鶴も置かれていて、今もこの場所が原爆の犠牲者を悼み、記憶を伝える場所であることを感じます。

今も残る「被爆した門」

普段なら、「昔の大学の門が残っている」と思うだけかもしれません。

しかし、根元に残る大きな隙間や、傾いた門柱、そして横倒しになった柱。

それらを一つずつ見ていくと、これが単なる大学の歴史遺産ではなく、1945年8月9日の原爆の爆風を実際に受けた「被爆遺構」なのだと分かります。

長崎大学へと続く歴史を持ちながら、原爆の記憶も同時に伝えている旧長崎医科大学正門門柱。

長崎に残る戦争遺跡の一つとして、今も静かにその姿を残していました。

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