鹿児島市天保山町に「鹿児島商業高等学校 天保山校舎跡地之碑」という記念碑があります。
現在の鹿児島商業高等学校は西坂元町にあるので、
「昔はここに、鹿商があったの?」
と、調べてみると、鹿児島商業高校は明治時代から続く歴史の長い学校で、その長い歴史の中で、ここ天保山町にも校舎が置かれていた時代があったみたいです。
鹿児島商業高等学校 天保山校舎跡

「天保山校舎跡地之碑」の記念碑。
立派な記念碑ですが、面している国道225線は車通りが多く停めるとこも無いので、足を止めてまで見る人はいなさそう、、

こちらは別の記念碑。
天保山校舎の沿革などが刻まれていて、その横には木製の杭も立っています。
杭には、
「昭和四十六年四月 移転」
と書かれています。
この「移転」というのは、鹿児島商業高等学校が天保山校舎から現在の西坂元町にある校舎へ移ったことを示しています。
鹿児島商業高校の公式資料でも、昭和46年(1971年)4月に現在の坂元校舎へ移転したことが確認できます。
明治27年から続く鹿商の歴史
鹿児島商業高等学校の歴史は古く、その始まりは明治27年(1894年)10月1日。
「鹿児島簡易商業学校」として発足しました。
その後、学校名を変えながら発展し、校舎も移転。
鹿児島商業高校の公式資料によると、易居町から騎射場、そして天保山へと校地を移しています。
現在の鹿児島商業高校がある西坂元町は、そのさらに後の校地になります。
つまり、今回訪れた天保山校舎跡は、鹿商の長い歴史の中にある一つの「旧校地」ということになります。
戦時中に天保山へ
天保山校舎の時代について調べてみると、戦時中の学校の変化もありました。
当時は戦時下ということもあり、「鹿児島市立工業学校」となっていました。
その後、戦争が終わると再び商業学校としての道へ戻り、昭和21年(1946年)には鹿児島商業学校に復帰。
さらに昭和23年(1948年)の学制改革によって新制高等学校へ移行し、現在につながる鹿児島商業高等学校へと発展していきます。
こうして見ると、天保山校舎は鹿商の歴史の中でも、戦前から戦後にかけての大きな変化を経験した校地だったことが分かります。
昭和46年、天保山から移転
そして昭和46年(1971年)4月。
鹿児島商業高等学校は、ここ天保山校舎から現在の西坂元町へ移転しました。
現地に残されている「昭和四十六年四月 移転」という杭は、この出来事を伝えるもの。
現在の鹿商は令和8年度で創立132年を迎える歴史ある学校ですが、その長い歴史の中には、ここ天保山で過ごした時代もありました。
校舎っぽい建物が残っている?

そして、この場所でもう一つ気になったのがこの建物。
一見すると、いかにも学校の校舎のように見える建物が建っています。
「もしかして、鹿商の旧校舎が残っているのでは?」
と思ってしまいますが、どうやらこの建物は鹿児島商業高校が移転した後、この跡地に建てられたものとのこと。
つまり、見た目は学校の校舎っぽいものの、鹿商の天保山校舎そのものが残っているわけではありません。
ここはちょっと紛らわしいところです。
学校跡地に学校のような建物が残っているので、最初に見たときは「旧校舎が現存しているのかな?」と思ってしまいました。
現在は市の施設として利用

現在、この建物には鹿児島市シルバー人材センターが入っています。
つまり、
鹿商の天保山校舎が残っているわけではない
ものの、
かつて鹿商の校舎があった場所には、現在も市の施設が建っている
ということになります。
昭和19年(1944年)、学校は天保山町へ移転。
記念碑が伝える「昔の鹿商」
ほかにも鹿児島市の計量検査所などが入っており、現在は学校とは別の用途で利用されています。
校舎そのものは残っていませんが、二つの記念碑と「昭和四十六年四月 移転」と刻まれた杭が、ここに鹿児島商業高校の天保山校舎があったことを伝えています。
何気なく見つけ寄った「天保山校舎跡地之碑」でしたが、調べてみると明治時代から続く鹿児島商業高校の長い歴史につながっていました。
街中にひっそり残る学校跡の記念碑を探して歩くのもなかなか面白いものです。
訪問日:2022年2月


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