鹿児島市平川町の五位野地区。
平川動物公園へ向かう高架の下を通った際、その脇にひっそりと石橋が残っているのを見つけました。
「五位野橋(ごいのばし)」。
地元では「園田橋(そのだばし)」と呼ばれている石橋です。
何度もこの辺りを通ったことがあるのに、恥ずかしながら、こんな場所に古い石橋が残っていることを今回初めて知りました(笑)。
しかも調べてみると、この橋を手掛けたのは、鹿児島の石橋を語るうえで外せない名石工・岩永三五郎でした。
五位野橋(園田橋)とは?

五位野橋の正式名称は「園田橋」。
五位野川に架かる一連アーチの石橋で、弘化4年(1847年)に架設されたとされています。
橋長は約7.6m。
大きな石橋というわけではありませんが、石造りのアーチが美しい橋です。

橋の側面には草が生い茂り、周囲の木々にも覆われています。
現在も生活道路橋として使われていますが、周辺の景色だけを見ると、まるで山の中に残された古い石橋のようです。
岩永三五郎とは?
岩永三五郎は、肥後(現在の熊本県)出身の石工です。
1790年代に生まれ、1840年(天保11年)に薩摩藩へ招かれました。
薩摩に滞在した約10年間に、甲突川の五石橋をはじめ、鹿児島県内各地で橋や道路、用水路などの土木事業に携わりました。
鹿児島で特に有名なのが、甲突川に架けられた五つの石橋。
玉江橋、新上橋、西田橋、高麗橋、武之橋
の「甲突川五石橋」です。
いずれも江戸時代末期に架けられた大規模なアーチ石橋で、その建設を岩永三五郎が指導しました。
甲突川五石橋は「普通の橋」ではなかった
甲突川五石橋の中でも特に有名なのが西田橋です。
西田橋は鹿児島城下の表玄関にあたり、参勤交代の行列も通る重要な橋でした。
そのため、ほかの橋にはない「御門」が設けられるなど、藩の威光を示す特別な造りになっていました。
現在の石橋記念公園に移設・保存されている西田橋を見ると、その豪華さがよく分かります。
ところが、今回の五位野橋はそんな城下の中心からはかなり離れた場所。
殿様の行列が通るような場所でもありません。
それなのに、なぜここに岩永三五郎が手掛けた石橋があるのでしょうか。
なぜ五位野に岩永三五郎の石橋が?
気になって調べてみると、五位野周辺には当時、鹿児島城下と南薩方面を結ぶ重要な街道が通っていました。
現在の国道226号線につながる旧街道で、五位野から平川方面へ続く道は「山川路」と呼ばれていたようです。
この道は鹿児島城下と山川方面を結ぶ交通路でした。
そして、五位野橋はその山川路と五位野川が交差する場所に架けられています。
つまり五位野橋は、城下の見栄えを整えるための橋ではなく、人や物資が行き交う街道を支える実用的な橋だったと考えると分かりやすそうです。
岩永三五郎は甲突川の大規模な石橋だけを造った人物ではありません。
鹿児島県の資料でも、橋の建設だけではなく、道路や用水路、新田開発など幅広い土木事業に関わった技術者だったことが紹介されています。
そう考えると、城下から離れた五位野に岩永三五郎の石橋が残っていることも、それほど不思議ではありません。
華やかな「表」の五石橋とは違い、こちらは街道を支えた実用的な石橋。
そんなところにも、岩永三五郎の仕事が残っているのが面白いところです。
近くには水神様

橋の近くには、水神様を祀った石碑もあります。
石碑には「弘化四年」と刻まれています。
五位野橋が架けられたのも弘化4年(1847年)。
橋とほぼ同じ時代に建立されたものと考えると、この場所と水との関わりを感じさせる存在です。
古い橋のすぐ横に、同じ時代の水神様の石碑が残っている。
こういう何気ない組み合わせが、歴史散策では面白かったりします。
甲突川五石橋だけじゃない岩永三五郎
鹿児島で「岩永三五郎の石橋」と聞くと、どうしても甲突川五石橋を思い浮かべます。
五石橋は約150年間使われましたが、1993年(平成5年)の「8・6水害」で新上橋と武之橋が流失。
残った西田橋、高麗橋、玉江橋は移設・復元され、現在は石橋記念公園で保存されています。
一方、五位野橋は今も現地に残っています。
大規模な五石橋とは規模が全く違いますが、同じ岩永三五郎の仕事が、こんな場所にも残っている。
そう考えると、五位野橋もなかなか貴重な存在です。
近くにもう一つ気になる石橋が……

五位野橋で、もう一つ気になるものを思い出しました。
JR指宿枕崎線と並走する国道226号線沿い、五位野駅付近の川に、石橋らしきものがチラッと見える場所があります。
JRの線路下を流れる川に架かっている石橋です。
五位野橋からバイクで2~3分ほどの距離。
場所が近いので、もしかするとこちらも岩永三五郎と何か関係があるのでは……と思ってしまいます。
ただし、これはまだ確認できていません。
鉄道の線路下にあることを考えると、現在のJR指宿枕崎線が敷設された際に造られた橋梁である可能性もあります。
今回は川まで降りて確認できる場所が分からなかったため、遠目から写真を撮っただけ。
気が向いたときにでも、改めて探してみようと思います。
五位野に残る歴史
今回、五位野橋を訪れてみて感じたのは、この周辺には思っていた以上に歴史が残っているということ。
以前訪れた清泉寺跡もこの周辺にあり、今回の五位野橋も江戸時代末期から残る歴史遺産です。
現在は住宅地や道路が整備され、平川動物公園などへ向かう人も多い場所ですが、少し脇道に目を向けると、昔の街道や石橋、石碑などが残っています。
華やかな甲突川五石橋とは違い、五位野橋はひっそりとした一連アーチの石橋。
それでも、1847年に架けられてから現在まで、この場所で街道と川をつないできました。
「こんなところに岩永三五郎の石橋が?」
という意外性も含めて、五位野橋はなかなか面白い石橋でした。


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